私たちは普段している生活が正しいのかどうかを考えたことがあるでしょうか。
私たちは基本的には朝早く起きて、通勤をして出社しそこから休憩を挟んで8時間の労働をし、家に帰りひと時位の団欒を楽しんで就寝します。
これが週に5日間程度続き、週末は疲れを癒したり、自分や家族と趣味を楽しんだりする時間に充てます。
私たちはこの生活を何とかこなしてしまうので、特に何の疑問も持たずに日常を繰り返しています。
しかし、私たち日本人の中には社会に出た時にその1日の労働時間が15時間も沢山いてそれを当たり前のものと社会に強要された人が沢山いました。
当時は長時間労働に苦しみ、今よりも自殺者や過労死する人たちが自分の周りにも沢山いました。
私もその1人でしたが、私はその社会が完全に狂っているとの確信があり誰よりも早く当時勤めていた会社を辞めました。
そして逆に何が私たちの生活にとって最も重要なのかを考えさせられました。
あまり重要ではないもの
これ以上の労働を課すと必ず自分の体が壊れると確信するまで追い詰められた時、真っ先にいらないものがわかります。
それは社会からどう見られるかです。
社会はあなたにルールを強制してきますが、それは本質的に意味がありません。
本当に大切なのはあなたがどうしたいかです。
あなたが心の底からやりたいことをやることが大切で、やりたくないことをできるだけやらないことこそが大切です。
ここで誰よりも裕福になりたいとか、一番有名になりたいと自分の欲に流されてしまうとそれはルールに強制されてしまいます。
なぜならその欲求は社会によって作られたものだからです。
偏った情報を与えられていない子供に、将来どうなりたいかを聞いたら誰よりも金持ちになりたいとは思いません。
それは社会の中で形成されていきます。
それは社会の中で他人からよく見られたいからです。
これは本質的な私たちの欲求や望みではありません。
社会の中で自分の能力をで発揮して、社会や自然環境と調和の取れた生活をしたいと心のどこかではわかっています。
次にいらないものは過剰なものです。
幸福度と収入はある程度までは相関しますが、それ以上はほとんど関係がありません。
これは経済力は自分を支えるためのある程度までは必要だが過剰に求める必要はないということです。
これは経済力のみでなく、全てに当てはまります。
あなたが絶望の淵にいる時に、誰かに優しく声をかけてもらい励ましてもらった時にとても感謝するでしょう。
しかし、優しさが当たり前でとても恵まれた生活をしていると人間は感謝することが難しくなります。
そのためある程度の困難は感謝の気持ちを持ち続けるために必要になります。
食事もそうです、過剰であれば健康を害しますがなければ生きていけません。
またどんなに美味しい食事でも食べすぎると、それ以上食べたいとは思わないはずです。
逆に死にそうなくらいの空腹状態ならば、ほとんどの食品を高級食材よりも美味しく感じることができます。
人間関係、趣味、仕事、持ち物、情報、何でも多ければ良いというものではなく、必要なものといらないものの選択とどの程度が適量なのかが大切になります。
また時間感覚は本当に必要でしょうか
私たちはたいてい朝の8時か9時に出勤しなければならず、日本人の睡眠時間は世界的に見て最下位です。
人間は本来朝日を感じると勝手に目が覚めます。
疲れていたら、普段より沢山の睡眠が必要かもしれませんし、逆に睡眠の質が高いと短時間でも満足できます。
それなのに、遅くまで仕事をしてお酒を飲んで睡眠の質を下げられた状態で、朝早く起きなければならないプレッシャーを感じながら、本来よりも短時間の睡眠しか取れなければ生産性は上がりようがありません。
また、時間感覚は人によって全く異なります。
例えば同じ1時間でも仕事や勉強に集中している人と、そうでない人では圧倒的に仕事量も体感時間も異なります。
本来8時間仕事をしたから良いのではなく、より集中した短時間で仕事を終わらせることができればそれ以外の時間は仕事以外に使って問題ないはずです。
それなのに、逆に一日何時間も残業を強要されて、ただ長時間働けばいいと考えてしまうことは考え直さなければいけません。
これらは一般企業で働いていると達成するのが難しいかもしれませんが、本質はこちらです。
時間ではなく、時間あたりの質をどう上げるかを考えてみてください。
また、量は質と同じくらい重要です。
それは同じ時間を使って大量の量をこなすことができるからです。
しかし、そのためには努力ではなく、コンピューターを使ったり、外注したり、仕組み化したり、また無駄を徹底的に削減することで本質に集中してその部分のみを大量にこなすことができると生産性が上がります。
まとめ
長時間労働から抜け出し、尚且つ生産性を上げるにはまだ見ぬ視点に気がつくことです。
そのために普段当たり前と思っていたものを、思い切って一度捨ててみると新たな視点を獲得できるかもしれません。
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