私たちにはやりたいことや、夢があります。
その願望を実現させるために私達は様々な方法を試みます。
あるひとはその願望を明確にして、その達成までを逆算して戦略を立て、そこに至るまでをタスクに落とし込み、毎日そのタスクに取り組みます。
またある人は達成した瞬間をイメージして、そのイメージを心に抱いて自分の直感に従って行動します。
どちらも理にかなったアプローチできっとあなたが目標を達成するのを後押ししてくれると思います。
しかし、今回私は少し変わった方法を提案させてもらいます。
その願望を実現する代わりに何を自分は差し出すのか
はじめに願望自体が自分の個人的欲求に基づいている人は割といると思いますが、その場合には対極をイメージする事です。
例えば100万円欲しいという願望があるなら、それを手にするために自分ができること、または差し出す物を考えましょう。
それを手にするために自分が相応しいスキルを身につけたり、時間を売ったり、もし同じ価値のある物を持っているなら売ることで手に入ります。
ここは正直に言いますが、
個人的欲望を追求して、なんの対価も払わずに誰がそれを差し出すのでしょうか。
単純に考えればわかる話ですが、お金を渡す見返りに何かを期待します。
ですので、何かを手にするには相応のものを失います。
一般的にはそれはあなたの時間です。
これはいかなる手段でも当てはまります。
100万円を盗めば、あなたは相応の何かを失います。
社会的な地位かもしれませんし、心の平穏かもしれませんし、いつかの日か誰かに100万円相当の何かを奪われる日が来ると思います。
自己利益のことばかりを考えていると、同じような周波数の自己利益ばかりを考える人を惹きつけます。
社会的地位ばかり考えていると、同じようなことを考えている人たちとの熾烈な競争が待っています。
その地位が高いほど、競争率が上がります。例えば10000人がその地位を希望していたら達成確率は単純に10000分の1になります。
これがあなたが願望を実現できない理由になります。
こういった自己利益ばかりを考えている人たちとの競争は何としても避けなければなりません。
仮にあなたに相当の能力があっても避けるべきです。
理由はこれらの人達の競争は勝者総取りになるからです。
つまり、0.1%の勝者が残り99.9%の富を独占します。
せめて50%の勝者と50%の敗者に別れてくれれば、能力が高いなら良いのですが、よく深い人同士の争いはそうは行きません。
正直こんなところで止まっていてはいけません、もう少し視点を上げていきましょう。
大いなる大志を含んだ社会性のある願望
もちろん自己利益ばかり考えていては、世の中が成り立たないことを理解している人がほとんどだと思います。
そのため、抽象度の高い人たちは社会性のある目標を設定します。
例えば、人々が健康に生きる手助けをしたい、綺麗で清潔なまちづくりをしたい、中には自分がたくさん稼いでそれを分け与えて貧富の差をなくしたいと考える人もいると思います。
または環境のためや、動物のために何かをしたいと思う人もいると思います。
ここで痛烈な質問をしたいと思います。
それは今のあなたにできますか?
大きな目標はそう簡単に達成ができないからこそ、大きく視点が高いのであって、その実現のためには知識も、人脈も、設備も、何よりお金がいるはずです。
というか、そもそも社会性のある目標以前にお金はいります。
あなたが生活するだけでも、恋人や子供がいたら尚更です。
視点が高く、知識量に優れている人が次に意識しなければならないことは、一旦地に足をつけなければいけないということです。
綺麗事だけでその目標の達成は不可能です。
そもそも、生きていくことすら危うくなってしまいます。
そして結局あなたは100万円が今必要になるかもしれません。
しかし、ここでの100万円が欲しいと、完全に個人的に100万円が欲しいとではある意味では根本的に異なり、そしてある意味では全く同じです。
異なる点はその100万円を手にするための方法が格段に広がることです。
それはあなたが同じように、視点が高く周りが見える人たちを引き寄せるからです。
お互いがウィンウィンのポイントを見つけることができると、物事はすごくスムーズに進みます。
ここは決定的に先ほどと違い、ウィンウィンのポイントを見つけることができれば1万人いたら、全員が勝つことが可能になります。
先ほどとは確率が雲泥の差になります。
だから願望がとても叶いやすくなります。
そして結局視点の高さに関わらず、結局泥臭く行動しなければ手に入りません。
これが、視点が高く知識が広いだけの人と、尚且つ行動ができる人との差です。
いくら視点の高い人を引き寄せても、結局行動をして、お願いをして、交渉して、うまくいったら感謝しなければ資金を獲得できません。
せっかく、願望を達成しやすい環境を自らの手で引き寄せているのに、手を伸ばすことを恐れてしまうのです。
意識と視点ばかりが高い人は、お金に汚い人を嫌う傾向がありますが、そのほとんどは自分が泥を被るのが嫌だからです。
だから、とても綺麗で耳障りの良い願望を設定してしまいます。
しかし、泥を被ることは誰もが平等に嫌です。
あなたの大志はその本物なのかという話になります。
例えばあなたの子供が難病にかかり、治療に1000万必要となればあなたは必ず泥を被ってても知り合いや、お金持ちに頭を下げるでしょう。
それができないのはあなたの目標に嘘が含まれているからです。
その目標は本当に本心か
ここはとてつもなく重要ですが、その視点の高い目標は本当にあなたのやりたいことですか。
正直ほとんどのこのような綺麗な目標は、建前です。
だから願望が実現しないのは当然です。
だから行動できないのです。
だから自分の殻をやぶるモチベーションが湧かないのです。
逆に、最初に述べた利己的な目標は本心が割と含まれています。
自分の欲望や本心と向き合って、尚且つ自分の周りの人、社会のこと、環境の事を考えた上で願望を決定しなければなりません。
そして、あなたの本心の願望は体感がなければなりません。
なぜあなたは、実際に経験をしたことがないのになぜにそれを本当にしたいとわかるのでしょうか。
あなたは、自分で進んで掃除をしないのになぜ街を綺麗にしたいのか。
介護の苦労を知らずに、人の健康の役に立ちたいのはなぜか。
異文化で働く苦労を知らずに、なぜ海外で働きたいのか。
自分のお金で良い思いをしたいのに、なぜ人に与えて貧困を無くしたいのか。
自分は動物を食べていて、なぜ動物を救いたいのか。
あなたは石油製品の恩恵を毎日受けて、なぜ地球環境を良くしたいのか。
願望実現の前に行動して、自分が何をしたいのかを知ってください。
実際にやりもせずに、メディアや本にあれは素晴らしいと吹き込まれている状態は願望実現の以前の問題になります。
それは明らかに誘導されています。
その達成にやたらとお金がかかりませんか。
だとしたらそれは高確率でマーケティングです。
実際に行動をして体感してください。
自分が何が楽しいのか、好きなのか、何に喜びを感じるのかを知ってください。
そしてその苦労も理解した上で、それでもやりたいかどうかを本心で感じてください。
その偽りのない本心から叶えたい願望かどうかは決定的に重要です。
まとめ
その本当にやりたい社会性を帯びた願望は相当な確率で実現します。
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